掌編小説 俺とあいつ 島田たろう
バッテリーを組んで来たあいつと、プレーすることが出来なくなった。
左の手のひらが、腫れ上がるほど捕ってきたあいつの重い速球を、もう捕ることも出来ない。
寒い冬の日、白い息をフ~フ~吐きながら四キロの山道を一緒に走ったあいつ。
夏のギラつく太陽の下、額の汗が塩になったのも気づかず一緒に白球を追った。
あいつとの別れは断腸の思いで、悔し涙がこぼれた。
俺は北海道の、あいつは岩手の高校球児だった。そんな二人が、このT製鐵所に入社して出会ったのは五年前。
二人で独身寮内の野球好きを集め、平均年齢二十歳の軟式野球部『ワンパクボーイズ』を作った。メンバーはそれぞれの工場の三交替勤務だった。朝に夕に練習したが、全員が揃うことはなかった。
本番の試合も、仕事で誰かが欠けた。
チームのモットーは、仕事のストレスも吹き飛ばすほど底抜けに明るい楽天性だった。
相手から〝ノー天気野郎!〟とヤジられた劣勢の試合でも、その楽天性を発揮して逆転勝ちした。
中部重工業地帯の中心で、スポーツの盛んな市内には沢山の野球チームがあった。
市民大会で、春夏連続優勝した。
会社の誘いがあり『ワンパクボーイズ』は、会社所属の野球部となった。
自前だったユニフォーム代や用具代が、会社持ちとなって喜んだ。
しかし監督は代り、ユニフォームも代り、胸のマークも社名に変わった。
「会社の代表であることを忘れるな」
監督の言葉に、練習や試合からチームの
モットーであった楽天性が影を潜めた。
「お前はまだ『演劇鑑賞会』に入っとるな。あれはアカの組織だで、絶対に入るなと社内報で通知しとるだろう。ワシも注意したはずだ。会社に逆らう奴は、今日限り退部してもらう。これは会社の指示だでな」
練習が終わってから、グランドの隅で監督からそう告げられた。
あいつは近くで聞いていたが、何も言わなかった。
あいつはスパイクの底でグランドの土を蹴り上げ、帽子をわしづかみにして投げ捨て、逞しい肩をすぼめてグランドを出て行った。
友人に誘われ、生まれて初めて演劇を観たのはまだ半年ほど前だった。
一緒に誘われたあいつは、来なかった。
俳優たちが、目の前で演じるその世界に誘い込まれて感動した。その感動を求めて、演劇を観て来た。
演劇を観ることが、会社にどんな迷惑をかけるのか、俺には分からない。
アカの意味も良く知らないのだ。
会社は大手のF製鐵所に吸収されて、日本を代表する製鐵所になった。
『世界に羽ばたく、最新鋭設備を誇る若い製鐵所』のイメージが、俺の中でグラっと揺らいだ。